コラム「男の顔ネクタイ」

コラム「男の顔ネクタイ」 まえがきまえがき

「男の顔」ネクタイ
「なぜ締めているのですか?」とたずねると「身だしなみ」、「オシャレのポイント」はさておいて、「みんな締めているから」 「スーツなのに、なしというわけにはいかないじゃないですか……」と、意外に曖昧な答えも返ってくるネクタイ。

「40過ぎた男の顔は自分の責任」、「顔は男の履歴書」とも言うが「ネクタイはその人の顔であり、その人のすべてを語る」と言う人もまた多い。

なかには「そういえば自分と同じネクタイの人に出会ったことがないな?」と不思議がる人もいる。  そこで、この機にビジネスの象徴でもあったネクタイをはずし余生への気配りが増える年代はさておいて、働き盛り、日々仕事への挑戦をつづける人達に「男の顔」ともいわれる、ネクタイにまつわることを知ってもらおうと書きとめたものを集めてみた。

2003年1月 瀬川たかひろ

Vol.1 「やはりネクタイも戦いの場から」1

2-5ひと昔、フランスの新進気鋭のデザイナー、テッドラピドスが日本進出の挨拶で帝国劇場のステージに立ったとき、進行役だった野際陽子が、
「それではラピドスさん、男性のオシャレ、を一言で言いますと?…」
とインタビューをしめくくろうとした。

打ち合わせに無かったのか一瞬沈黙のテッド・ラピドス、ポッと「武器です」。

印象に残るひとことだった。
「男の服装は戦争から生まれたものが多い」
のはアパレル界の人なら衆知のことだが・・・・・、

トレンチコート=(名のとおりの塹壕服、雨避けの肩当て、手榴弾を吊す金属の輪…)昔なつかしのセーラー服=(海に投げ出されたとき、脱ぎ易いためのダブダブ…)、ネクタイ=(クロアチアの出征兵士へ妻や恋人が無事を祈って贈った首に巻く布)などなど。

男の服飾をテッド・ラピドスが「武器」と答えてから数十年、戦争を知らない世代中心の世へと移り変わったが、40〜50代のビジネスマンは今も「企業戦士」と呼ばれている。

なぜネクタイを締めるのか、これを考えるのに一つの証言がある。

芸術の起源を解くドイツのヴオーリンガーが唱えた「空間恐怖」(恐場症)という説。

要するに、広い空間にポツンと立ったときなどに感じる異様な恐怖感、つまり、人間が「空間に対する恐怖感」を本能的に打ち消そうとする衝動的行動がなにかを創ることの起因になったと言う。

ついついの付き合い酒で「明日は祭日」を忘れ、泊まった都心のホテルから一歩出た途端、人・車なし、動くものなし。見慣れたはずのビル群と大通り、「ジー」と音をたてる静かな空間に一瞬足がすくむ。

都会化が際限なくつづいた昨今、身近に荒涼とした空間はもうないが、いつだったか夜の海を素っ裸で沖へ泳ぎ出したとき、不意に襲った全身を縛りつけるような得体の知れない恐怖感を思い出す。

外界の恐怖を避け洞窟に住んだ原始の人達だが、恐怖感を打ち消すため、出来るだけ何かで身を覆う、動脈が浮き出る部分を飾るようになったと言うことになる。つまり「恐怖感」を打ち消すための「覆う」と「飾る」が始まった。

動物同志が戦うとき、本能的に守り、たがいが狙い合うのは動脈が外に出た部分であり、なかでも最も致命的なのは首(頸動脈)。

駄足になるが、文永・弘安の役に日本武士が闘った蒙古兵士の真綿のキルティング甲冑に刃(歯)が立たず苦戦したためそれ以後に名刀を輩出したと文献にあるが日本刀は本来突くか頸動脈を切るものだったのでは?

ナポレオンの肖像にしかり近世の軍服のいやに高い襟は首を覆う。また、軍律厳しい日本の軍隊で帰りの燃料なしで飛び立つた若い特攻隊員にだけ許された白いマフラー。

いづれにしても、明治の「ネキタイ」に始まり、昭和初期まで「襟飾」と呼ばれたネクタイも、その後ながらく「ネックウェア(覆う)」とも呼ばれ「ネックアクセサリー(飾る)」とも呼ばれてきた。「首を覆う」と「首を飾る」は連綿とつづいてきたが、スカーフのような形への原点帰りとか、シャツ襟の装飾化へとか、その型は世につれて変るだろうが、人間が「動物」であるかぎりこの本能行動は絶えることなくつづくのだろう。おおむね華麗なのは雄。

かつてブラウン管の人気者になったエリマキトカゲがエリを広げるのはまさに危険に対する威嚇だという。

「戦うべき雄」が闘うとき、身を隠してばかりではいられない。戦いの場に臨む恐怖心を打ち消すために「身を覆う」と同時に「身を飾る」。戦国の武将の頚を護る『しころ』と呼ばれる組み板四垂の付いた兜。燃えるように赤い緋おどしの鎧など、太刀や矢から身を守るのと同時に、文字通り相対する敵を見事におどせるほど「華麗」でなければならなかった。

「空間恐怖説」は関連して「幼児の落書き」についても通じている。「真っ白の壁や襖を前にするとその空間を無くそうと幾度叱られても幼児は落書きをする。」
 叱るよりも先に絵や何かで空間を埋めてやれば落書きをしない。ましてや、すぐに押し入れや階段下に座布団などを持ち込んだり、木の上に自分達だけの小屋や洞窟をつくって遊ぶ幼児期を説得するのは難しいはず。つまり、幼児には「真っ白い空間が怖い」。少年期になんとなく、ナイフなんかを持ちたがったり、長髪にしてみたがる時期があるが、これも本能的親ばなれ期の一種の恐怖感からかもしれない。
(外敵から身を守るため広い空間を避けて洞窟に住んだが、その壁面の空間を、「祈り」も含めて絵や文字を描き込む本能的作業が「創作」の始まりとなったともいう。)
 今日も「企業戦士」と呼ばれる男性達がネクタイをしっかり締め、マイホームと呼ばれる洞窟から、厳しいビジネスという戦いの場へとでかけていく。(続く)

Vol.2 「やはりネクタイも戦いの場から」2

「首はあまり圧迫しないほうが健康に良い」と幾度となく出てきた医師の忠告も、いつか個人的見解の範囲で霧散し、男性はネクタイを締めつづけている。

「世界で一番オシャレを楽しんでいる若い男性は日本人」とも聞く昨今だが、数十年前、「サラリーマン諸君、寝食忘れて働いてきた我々を、ドブネズミルックなどと言わせておかず、もう少しオシャレを」とアパレル業界の戦中派あたりが集まって「ピーコック革命」のスローガンでのキャンペーンがあった。

子や群れを守るために戦うライオン、たて髪をなびかせているのは雄である。
孔雀が羽根を広げるのは雌に媚びるときらしいが、見事な羽根を持つのは雄。動物、おおむね華麗なのは雄。
かつてのブラウン管の人気者になったエリマキトカゲがエリを広げるのはまさに危険に対する威嚇だという。

「戦うべき雄」が闘うとき、身を隠してばかりはいられない。戦いの場に臨む恐怖感を打ち消すために「身を覆う」と同時に「身を飾る」。戦国の武将の頚を護る『しころ』と呼ばれる組み板四重の付いた兜。燃えるように赤い緋おどしの鎧など、太刀や矢から身を守るのと同時に、文字どおり相対する敵を見事におどせるほど「華麗」でなければならなかった。

「空間恐怖説」は関連して「幼児の落書き」についても通じている。「真っ白の壁や襖を前にするとその空間をなくそうと幾度叱られても幼児は落書きをする・・・。」叱るよりも先に絵や何かで空間を埋めてやれば落書きをしない。ましてや、すぐに押入れや階段下に座布団などを持ち込んだり、木の上に自分達だけの小屋や洞窟をつくって遊ぶ幼児期を説得するのは難しいはず。つまり、幼児は「真っ白い空間が怖い」。少年期になんとなく、ナイフなんかを持ちたがったり、長髪にしてみたがる時期があるが、これも本能的親ばなれ期の一種の恐怖感からかもしれない。
(外敵から身を守るため広い空間を避けて洞窟に住んだが、その壁面の空間を、「祈り」も含めて絵や文字を書き込む本能的作業が「創作」の始まりとなったという。)

今日も「企業戦士」と呼ばれる男性達がネクタイをしっかり締め、マイホームと呼ばれる洞窟から、厳しいビジネスという戦いの場へとでかけていく。

Vol.3 同じネクタイに出会わない?

日本でネクタイを使う人は約3千万人。買われる本数は輸入品も含めて、年間約4千万本前後。もちろん世の中の好・不況でその数や価格は上下するが、他のアパレル商品にくらべて、いつも極端に消費が増減しないのがネクタイ。

ネクタイ人口一人の平均所有本数が約20本前後の日本は欧米諸国に比べてそう少ないとはいえないが、年間購入本数の一人平均1.3本は欧米の6~7本に比べると、少々侘しい数字。

「これは余所(よそ)行き(晴れ着)」と、持ってはいるけど、取換えて楽しまない昔の着物時代型日本人の名残があるのだろうか。

「気分に合わせて日々取り替える」欧米人の「衣の伝統と習慣」に対して明治を境にする「西洋服後発国」だからで仕方ないとは思うのだか?ジーンズ・Tシャツで過ごしてきたとはいえ、リクルート・スーツの新社会人の着こなしにはがっかりさせられることが多い。

輸入も含めて、日本で年間に製作されるネクタイ柄の数はどれくらいだろう。

大手問屋だと春、秋、冬の3シーズン、一問屋で計約5千柄。1柄×平均4配色で約2万点になる。全国のネクタイ業者の製作本数の推測量、年間約30万点。この「おどろくほど多品種少量生産商品」が全国各地へと流通する。

もちろん小売店頭に全色柄が並ぶわけでないが、単純計算だと、新柄だけでも同じ色柄約30万点÷3千万人=100本。つまり同じもの約100本が全国へ・・・。

「偶然同じネクタイをした人に出会う確率」は限りなく0に近いことになる。

「いかに感性でものを選ぶ時代」とは言え、まさに十人十色の好み、千差万別の色柄を対象別にどうして適量作れるのか・・・・・・・・・・。

通常問屋は一年先の色柄の変化を読み取って企画に入るのだが、年間約2万点を創る大手問屋とて「これ、売れそうだから多い目に作ろうか」なんていい加減な企画を立てていては、翌年とんでもない売れ残り在庫をかかえこむことになる。
そこで業者は、色柄・価格が重複しないよう、分類枠にあてはめた企画を立ててから製作に入る。収集した来年の色柄傾向資料+年代感覚+各地方色の特質などの資料をもとに経験を活かして生産計画を立てる。

企画するには、それらを整理する各社各自のノーハウを持っている。
実に多種多様な品種の企画・・・・・、これらの図表は、言葉は堅苦しいが、企画担当者間の「感覚を伝える記号」のようなものでそのポジションにしたがって、素材・縫製企画などを進めて行く。

通販会社のネクタイ特集などに使われていた代表的な表などを見ると… 

ネクタイの年々の色柄変化にたいしての、無関心派(=ネクタイの年々の色柄変化などは気にしない)約30%、保護色派(=目立ちたくない派)約40%、自己主派(積極的生活思考派)約30%が現状となる。

「同系色の濃淡でまとめる楽しみ方」と「反対色で楽しむ」があるが、いずれにしてのコントラストに欠けたスーツ姿ほどみずぼらしいものはない。
鏡でないと見えないのが自分の顔とネクタイだが、せっかく締めているネクタイが「男の顔」だとしたら、たまには大きな鏡で「自分が気にしない派」か「積極派」かぐらいは確かめてみてはどうだろう。

Vol.4 職場でのネクタイ

視聴者参加番組「だんなさんのネクタイ」で奥さん方の選んだネクタイの採点係を頼まれた。進行打合せの席へパタパタとスリッパで、「ほー、今日はネクタイですか」とTV 局には不似合いなおじさんが割り込んできた。

局の連中、ああまたかと少々しらけ気味だったが敢えてさえぎろうともしないところを見ると、大分上のえらいおじさんのようだった。だれに向かってでもなく、喋りだした。

「イヤー世の中変わりましたな、最近まで、おかしなボタンの付いたシャツに派手なネクタイ、こんなのだれが採用した!と思うてました『弊衣破帽、男の仕事は中身で決まる』でしたけど最近は変わりましたわ。うすよごれたシャツにシミのついたネクタイ、この男やる気あるんかいなと思うようになりましたわ、進歩ですな」と一気に喋るとだれの相槌を取るでもなく、またパタパタといってしまった。スタッフはなにもなかったように、さて、と打合せをつづけはじめた。

* 本番がはじまった。シャツ、スーツをまとった同じ顔の10体のマネキン人形にそれぞれ旦那さんを想定して奥さん方10人が前に並んだ約200本から選んでスーツに掛けたネクタイについて寸評をする。

「似合う」「似合わない」の公式があるでなし、奥さん方にダメを出して赤面してもらうこともあるまい・・・・・・・かといって、「いい加減なこと言ってる」とたまたま番組を見ている知人がいるかもしれない・・・・・。どうしたものか?といった些細な迷いは奥さん方の努力作を見た途端に消えた。
10本とも定説「男のお洒落のポイントはネクタイ」からほど遠く、ものの見事にネクタイがスーツの中に暗く沈み込んでいた。
街中より少々テンションの高い、スタジオ内だとしてもわびしいほどに「控え目」のネクタイばかり。
選択用におかれた残りから、奥さんたちが選んだ「好み」に近いものを取り出し、一体づつ取り替えていった。

「まず全体的にどうなんでしょうか?」と女性キャスター、「ご主人をイメージされながら選ばれたわけですが、共通しているのは実に無難だってことでしょうか。一体職場のどこにいるのか分からないような目立たないご主人では気の毒じゃないでしょうか」、「たまには職場の若い娘に、素敵!といわせてあげたらどうでしょう」。
月並みにきっと出るなと思った通り、男性アナ「私もそう思います。『妬くほど亭主モテもせず』っていいますから、・・・・・・・。
月並みな「主婦参加番組」は月並みに終わった。

* 「旦那さんが気に入らないからって、あの奥さん取換えにきたのこれで三回目よ、どうして本人とこないのかしら、ねえー」と、売り場の店員さん。

 なかには「まかせっきり」の人もあるだろうが、どうも奥様方ひな、「しぶい」「落ち着いた」「シックに」といったご主人像への共通した願望があるようだ。

「どぶねずみルック」の蔑称にも耐え、「普及率需要期」を働き続けた、戦中派、戦後派はいたしかたないにしても、もの余り時代の新人類、団塊の世代のなかにも「選ぶ楽しさ」が「人まかせ」だとしたら、勿体ない話。
  奥さん主導もたまにはよかろうが、ちなみに、ネクタイメーカー依頼の調査会社の数字では「頑張ってきてねと玄関で職場へ送り出したご主人のその日のネクタイを覚えていた奥さん」は30%弱だった。

Vol.5 奇抜なネクタイ

ファッションショーのステージを優雅に、時には激しく歩くモデル達を眺める壁ぎわで「あれではちょっと歩きにくいわね」たぐいのひそひそ声を耳にすることがある。

ステージで発表する「作品」は「自分の考えを人に伝えたいデザイナー達の精魂傾けた創作意図のメッセージ」。

仮に、精一杯のオシャレをした、街中のおじさん、おばさん、お兄ちゃんたちがスポットライトの中、ステージをゾロゾロ歩いてみるとどうだろう、どんなことを話しかけてくるか・・・・・多分、逆に異様な雰囲気になるだろう。   人々が無意識に求めるのは、「衣のファッション」に限らず日常生活への「洗練された変化」であってステージに現れるのは、その場で見られる(感じられる)「作品(形)」だけでなく、デザイナー達の「変化への暗示」で観る者を楽しませてくれる。

「ミニスカート」発表で世界を席捲したデザイナー・マリークワントの言葉が残っている。

「膝上10cmのミニスカートを発表したとたん非難轟々でした。」なにしろそれまで長らく膝を見せない時代が続いていた。「私は皆さんに膝上10cmを薦めているだけでない。少なくともこれからの女性像として活動的な膝上5cm位のミニをと望んだが、皆さんに受け入れてもらうには一度瞳孔を思いっきり開いてもらってからでないと、なかなか『今まで』を振り切ってくれません」。

確か発表の1~2年後、かつて眉をひそめた年配女性までも膝上一辺倒、その頃ロンドンの街角では幼児を抱いて颯爽と歩く膝上20cmの女性に何人も出会った。   店頭でドキッ、ギャッ、といたたぐいのネクタイに出会ったとすると、それは奇を衒ったものでなく、なんらかの作者のメッセージと思って間違いない。

ネクタイの巾が広くなったり狭まったり、スーツのボタンの数が増えたり減ったり、新規需要のためにいろいろな業者で「談合のようなものをやっているんじゃない?」といったご仁がいたが、そんな話は聞いたこともない。自由奔放時代の若者達に古着ルックが流行れば歩行者天国でラムネが飛ぶように売れた。

マリークワントの言葉がある。「デザイナーがファッションを変えるのではなく、皆さんの心がファッションを変えるのです」と。