ファッションショーのステージを優雅に、時には激しく歩くモデル達を眺める壁ぎわで「あれではちょっと歩きにくいわね」たぐいのひそひそ声を耳にすることがある。
ステージで発表する「作品」は「自分の考えを人に伝えたいデザイナー達の精魂傾けた創作意図のメッセージ」。
仮に、精一杯のオシャレをした、街中のおじさん、おばさん、お兄ちゃんたちがスポットライトの中、ステージをゾロゾロ歩いてみるとどうだろう、どんなことを話しかけてくるか・・・・・多分、逆に異様な雰囲気になるだろう。 人々が無意識に求めるのは、「衣のファッション」に限らず日常生活への「洗練された変化」であってステージに現れるのは、その場で見られる(感じられる)「作品(形)」だけでなく、デザイナー達の「変化への暗示」で観る者を楽しませてくれる。
「ミニスカート」発表で世界を席捲したデザイナー・マリークワントの言葉が残っている。
「膝上10cmのミニスカートを発表したとたん非難轟々でした。」なにしろそれまで長らく膝を見せない時代が続いていた。「私は皆さんに膝上10cmを薦めているだけでない。少なくともこれからの女性像として活動的な膝上5cm位のミニをと望んだが、皆さんに受け入れてもらうには一度瞳孔を思いっきり開いてもらってからでないと、なかなか『今まで』を振り切ってくれません」。
確か発表の1~2年後、かつて眉をひそめた年配女性までも膝上一辺倒、その頃ロンドンの街角では幼児を抱いて颯爽と歩く膝上20cmの女性に何人も出会った。 店頭でドキッ、ギャッ、といたたぐいのネクタイに出会ったとすると、それは奇を衒ったものでなく、なんらかの作者のメッセージと思って間違いない。
ネクタイの巾が広くなったり狭まったり、スーツのボタンの数が増えたり減ったり、新規需要のためにいろいろな業者で「談合のようなものをやっているんじゃない?」といったご仁がいたが、そんな話は聞いたこともない。自由奔放時代の若者達に古着ルックが流行れば歩行者天国でラムネが飛ぶように売れた。
マリークワントの言葉がある。「デザイナーがファッションを変えるのではなく、皆さんの心がファッションを変えるのです」と。